2018-04-13 第196回国会 衆議院 文部科学委員会 第7号
多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、人間としてよりよく生きるために道徳的価値に向き合い、いかに生きるべきかを自ら考え続ける姿勢こそ道徳教育が求めるものである。」とあります。 例えば、うそをついてはいけない、これは一面ではそのとおりです。しかし、相手を思いやる優しいうそ、こういったこともあるでしょう。
多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、人間としてよりよく生きるために道徳的価値に向き合い、いかに生きるべきかを自ら考え続ける姿勢こそ道徳教育が求めるものである。」とあります。 例えば、うそをついてはいけない、これは一面ではそのとおりです。しかし、相手を思いやる優しいうそ、こういったこともあるでしょう。
これはぜひ、本当にこれで大丈夫なのかということで、その評価のガイドラインも、学校の先生方に教えているところには、子供たちが道徳的価値の理解をさらに深めているかということでありまして、道徳的価値、この中には、国と郷土を愛する心、愛国心もありますけれども、これはやはり、深めたか深めていないかという評価は、何が正しい愛国心、道徳心なのかという基準がなければなかなか評価できないわけであります。
年間を通して、児童生徒が多面的に多角的な見方や発展をしているか、道徳的価値の理解を自分自身との関係の中で深めているか、こういった子供たちの成長の様子を丁寧に見取ることが必要であると考えておりまして、その旨、都道府県教育委員会などに通知して指導の徹底を図っているところでございます。
大人は、善悪の判断などの道徳的価値、母語である日本語の豊かな語彙や言葉遣い、我が国の国柄、基本的な計算力などを子供たちにしっかり教え込むことに決してちゅうちょしてはならないと思います。 また、主権者として、我が国を治めることの難しさから決して逃げることなく、考え抜き、判断したり選択したりする自覚と責任を持たせることの重要性も言うまでもありません。
教育で大切なことは、日本人が長年培ってきた道徳的価値観を教えること、自立した個人として健全な自主性を育むことであります。
特に道徳科は、社会性を持ちながら真摯に自己に向き合って、自分との関わりで道徳的価値を捉えて、一個のかけがえのない人格としてその在り方、生き方を深めていくということを重要視しておりますので、指導に当たりましては、発達の段階とともに、個々人としての特性から捉える個人差にも意を用いる必要があり、その観点から様々な手段を講じてまいりたいというふうに考えております。
でも、幾ら読んでも、道徳性とか道徳的価値、道徳的心情、道徳的実践力と、まあ道徳のオンパレードで、もちろん道徳の学習指導要領ですから出てきているんですけれども、明確な定義が見出せないんですね。 そもそも道徳とは何なのかというようなこと、あるいは道徳性とか道徳心、大臣はどのように、短くそのことを表現するとすればどういうふうになりますか。あと一分しかありませんので、お願いします。
その後、昭和三十三年、子供たちの道徳的価値観を育むため、道徳の時間が新設をされました。約十年ごとの学習指導要領の改訂により、その時々の子供たちの実態に合わせて、時代に合わせて改良が進められてきたわけであります。 現在、情報化社会の急激な進展、また社会の変化、そういった中で問題が起きつつあります。また、道徳の時間は各教科に比べて軽視されがちであって、そんな課題も指摘をされております。
この趣旨を踏まえ、今御指摘ありがとうございます、「私たちの道徳」という教材名にいたしましたが、これは児童生徒が道徳的価値について考え、そして自ら行動できるようにすることを狙いとしたものでありまして、今までの心のノートを全面改訂したものでございます。作成に当たっては、道徳の時間を始め授業でより活用しやすい内容、構成、また家庭、地域でも活用できるものとなったのではないかというふうに思います。
心のノートは、本来、児童生徒が身につける道徳の内容をわかりやすくあらわし、道徳的価値についてみずから考えるきっかけになるよう作成された教材であり、道徳の時間を初めとして、特別活動や総合的な学習の時間、家庭での生活など、さまざまな場面における活用を促したところでございます。
この心のノート、これは、児童生徒が身につける道徳の内容をわかりやすくあらわし、そして児童生徒が道徳的価値についてみずから考えるきっかけとなるように作成した道徳の教材であります。 委員御承知のとおり、戦後の教育界では、教職員組合を中心として、道徳教育ボイコット運動というものがかなり全国的に展開されてまいりました。
このノートの道徳的価値につきましては、児童生徒が自ら考え、実践するきっかけになるように、学習指導要領に示す道徳の内容、これを分かりやすく記述したものであろうと思っておりますので、私としては、このノート、それぞれ発達段階別に書かれておりますが、読んでおりますので、お答えといたします。
○政府参考人(金森越哉君) 心のノートでございますが、心のノートは、道徳的価値について自ら考え実践するきっかけとなるよう、道徳の内容を児童生徒にとって分かりやすく表したものでございまして、教科書のように使用義務のあるものではございませんが、その適切な活用が望まれるところでございます。
哲学者のウィリアム・ジェームズは、人間が持つ支配や闘争の本能を昇華させていくためには、戦争にかわる何らかの道徳的価値を用意する必要があると言われております。私も全く同感なんです。人間は、平和を願いながら、その一方で潜在的に戦うことが好きなのではないか、戦争と略殺の愚かな歴史を見るときに、私はふとそんなことを考えるときがございます。 時に子供は、大人にははかり知れないエネルギーを有しております。
○遠山国務大臣 心のノートは、児童生徒が身につける道徳内容を子供たちにとってわかりやすくあらわして、道徳的価値について自分で考えるきっかけをつくろうということで、文部科学省において作成したものでございます。これは教科書ではないわけでございますが、道徳のための教材であるわけでございます。 今も、あるいは最近も、さまざまな子供の事件が起きております。
○石井(郁)委員 それで、もう一点重大なのは、先ほど冒頭に大臣がお述べになりましたように、やはり道徳教育の内容とかあるいは道徳的価値だとか、そういうことについてこの心のノートはいわば書いてあるわけでしょう。つまり、教育内容というものに、道徳教育の内容について触れているわけですから、そのことがやはり重大なんですね。
つまり、法への依存が少なければ少ないほど、価値への依存が高ければ高いほど、コミュニタリアン的であり、コミュニタリアン的社会は、道徳的価値に支えられた法に依拠すべきであり、道徳に支えられない法に依拠すべきではないというのです。
○山谷小委員 法への依存が少ないほど、価値への依存が高いほどコミュニタリアン的、コミュニタリアン的社会は道徳的価値に支えられた法によるべき、コミュニタリアニズムは儒教に近いというふうにおっしゃいましたけれども、儒教というのは道徳なのか、あるいは極めて宗教に近い、宗教的情操心に支えられたあるものなのかというようなことが一つ素朴な疑問として残りました。
○矢野政府参考人 これは、申し上げますと、そもそもということでございますけれども、児童生徒が身につける道徳の内容を児童生徒にとってわかりやすくあらわし、そして、道徳的価値についてみずから考えるきっかけとなるよう文部科学省において作成した道徳教育のための教材であるわけでございまして、そして、まさにこれは私どもの責任において、文部科学省の権限と責任において制作したものでございます。
ただ、この際でございますから、私ども改めて申し上げたいと思うわけでございますが、心のノートは、児童生徒が身につける道徳の内容を児童生徒にわかりやすくあらわし、道徳的価値についてみずから考えるきっかけとなるように文部科学省において作成した道徳教育のための教材であるわけでございます。
野党であるキリスト教民主同盟などは、これに対しまして、法及び社会は普遍的に妥当する道徳的価値観を前提としている、これを放棄することは国家の自己破壊を生ぜしめる、このような前国家的な基本価値は多数決の対象ではないと主張したのであります。 自由な国家は市民に多くの自由を保障いたしますが、その自由は世界観の多元性をもたらします。
○政府参考人(矢野重典君) 心のノートは、児童生徒が身に付けるべき道徳の内容を児童生徒にとって分かりやすく表し、そして道徳的価値について自ら考えるきっかけとなるように、そういう趣旨で文部科学省において作成した道徳教育のための教材であるわけでございます。
ワースというのは、これは辞書によると、ちょっと今、委員会の前に調べてきたんですけれども、知的、精神的、道徳的価値であると。ある一定のモラルみたいなことを言っていて、バリューというのは実際的な有用性を加味した価値であると。メリットというのは称賛に値する、あるいは人々が望む価値という、こんなような違いがあるらしいんですね。
○政府参考人(矢野重典君) 心のノートは、先ほど副大臣から御説明申し上げましたように、児童生徒が身に付ける道徳の内容を分かりやすく書き表し、道徳的価値について自ら考え、実践するきっかけとなるものであり、また児童生徒が自己の生活や体験を振り返って記入したりするものとしても編集しているわけでございます。